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ダヴィンチ特別企画展  ★知れば知るほど面白い【美術史ミステリー】

ダヴィンチの「アンギアーリの戦い」日本初公開!

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出典: inspiration-gallery

ダヴィンチVSミケランジェロ 大壁画制作計画の競演

急なお誘いを受けて、足を運びました。
県美術館界隈は閑静な住宅街。街中のにぎやかさはありません。しかし、普段使いの気持ちをスパッと切り離せる貴重な場所です。少々行きにくい場所でしたが、地下鉄東西線のおかげで身近になりました。 →アクセス/宮城県立美術館
ことの起こりは…イタリアに流れたニュース
2012年の11月、”謎の傑作で長い間行方不明だった「タヴォラ・ドーリア」がイタリアに日本の東京富士美術館から寄贈された”というニュースに、イタリア中が湧きました。
ナポリで盗まれ消息を絶ったとされ、次々と個人コレクターの手に渡った末、1992年に日本の古物商から正統に購入した最後の持ち主とされるのが「東京富士美術館」。イタリア当局から返還して欲しいと要望され、無償で寄贈したことでこの企画展に結びつきました。
ヴェッキオ宮殿の大会議室「500人大広間」
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向かって右がわ手前にダヴィンチ、左手前にミケランジェロの絵がかざられるはずだった(推測)

 

歴史を本当に簡単に説明すると…
ヴェッキオ宮殿の大会議室「500人大広間」に、ミケランジェロとダヴィンチによる壁画描きを依頼されました。しかし、さまざまな理由でふたとも完成には至りませんでした。
  • ミケランジェロの作品は、下書きまで仕上がったが、別な仕事で急遽呼び戻される。彼に嫉妬心をもつ画家(バルトロメオ・バンディネッリ)によって切り刻まれてしまう。
  • ダヴィンチは精力的に臨むが、画法の失敗から断念、作品は未完成のまま放置。
その後、宮殿に大改修が入り、2つの絵は紛失したと言われてきました。
しかし…美術歴史家や研究者は絵は残されていると主張、技術の進歩により発見に至ったわけです!
模写からオリジナルを想像する楽しみ
ダヴィンチの作品も、ミケランジェロ作品も下絵は残されました。たとえ未完であっても、偉大な先輩画家たちのデッサン。当時の芸術家たちはこぞって模写しました。忠実に模写した者もあれば、派生させて描いた者もいます。
部分的に残された壁画・大量のデッサンから、ダヴィンチがどれだけ力を注いでいたのかわかります。(下準備期間に3年とも)この「部分的に残された壁画」や、中心部分の「軍旗争奪」シーンはその後に続く芸術家たちに大きな影響をあたえることになりました。

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もっとも忠実といわれる、ルーベンスの模写作品

 

執念が実る…絵画の下から発見

とても興味深い記事を発見しましたので引用します。 gigazine.netより

「アンギアーリの戦い」はヴェッキオ宮殿の大会議室に描かれ、改修時に塗りつぶされたと考えられていたのですが、どの壁のどの位置に描かれていたのかまでは明らかになっていません。Seracini教授は30年以上前にヴァザーリの壁画に隠されたあるメッセージに気づき、「アンギアーリの戦い」はこの裏に残っているはずだと考えたそうですが、技術の進歩によりようやく壁画を傷めずに詳細な調査をすることが可能になり、空洞を発見できたそうです。

☆ ☆ ☆

全体画像

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” これがダ・ヴィンチの壁画の上に描かれたとされる、
ヴァザーリの「The Battle of Marciano in the Chiana Valley」。
赤で囲まれた部分に描かれた軍旗に、ヴァザーリからのメッセージだと考えられる言葉があります。 “ 
(正直、細かくて良く見えませんね)
拡大図

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“  こちらがその部分の拡大。「Cerca Trova」とは
探しなさい、そうすれば見つかるでしょうといった意味で聖書にも出てくる一節のようです。”
出典: heartstrings 富士美術館 特別サイト
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 いかがでしたか?

私は事前知識なく行き、あとから歴史を知って感動しました。美術ミステリーを知っていけば、楽しさが倍増! 

3/19-5/29の宮城の開催で国内の企画展は全て終了となります。

お早目に!

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