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アメとムチとドヤ顔がポイント?息子流、人たらし術

親と他人の区別、さらには父と母の違いについても理解してきた息子は、どことなく人によって態度を変えて接しているようにみえる。とりわけ夫と私への接し方の違いは、実に顕著だ。

たとえば、息子が一人遊びに退屈して親にかまって欲しくなったとき、母である私には駄々をこねるような表情をみせて、さも「遊べよー!」と言いたげにぐずぐずな態度をとってみせる。まるで私に「アンタ母親だろ!しっかり相手しろよ!」と怒っているかのように…。基本は仲が良い私たちなのだが、どうも息子の機嫌が悪いと、母はやり場のない感情をぶつける的になってしまうのだ。いつも一緒だから、仕方がないか。

対して夫が仕事から帰ってくると、息子は目をキラキラさせて一直線に夫のもとへ。親の食事中も息子は終始、夫から離れようとはせず、その様子はまるでご主人様にすり寄る従順な子犬のよう。夫のほうもまんざらではなく、ご飯が食べにくいにも関わらず、いつもすごく嬉しそうだ。なんだ、この違いは?

また、親以外の人を前にすると、息子は急に体育会系になる。はじめこそ人見知りするものの、慣れてくると自分から手足を持ち上げて器用なポーズをとったり、つかまり立ちのようなことをしたりして、今できる最大限の技を渾身の力で披露しようとする。そしてポーズが決まったあとは、必ずドヤ顔。周りから拍手を浴び、チヤホヤされるとさらに得意げにドヤ顔。どうやら息子は調子に乗りやすいタイプのようだ。私に似たかな。

子どもが人の違いを認識できるようになり、さらには人によって接し方を変えるようになったことは、社会性が育ってきている証拠だ。きっと、一番身近な存在である母親(私)には多少わがままになっても受け入れてもらえると思っているのかも知れないし、父親とたわむれる時間がどれほど貴重なものかも彼なりに感じているのだと思う。他人の前ではデキる男にみられたいらしいし。生後半年ほどでこれほど子どもが人の目を意識するようになるなんて、生まれた瞬間のあどけない様子からは想像がつかなかったけれど、人間が生きていく上では身体の発達と同じくらい人との関わりが重要だからなのだろう。

息子はまだ本格的な人見知りの時期には入っていないと思われるが、初対面の人をこわがることだって人との接し方を学ぶための必要な反応だ。しかし今は、いずれやってくるそのときまで、少しでも多くの人に愛嬌を振りまいてほしいと願う母である。

この記事を書いた人
齋藤 惠
2015年8月から執筆活動を開始。 専業主婦として家事と子育てが生活のメイン。合間にのんびりとコラムを書く毎日。 金融機関に勤めていたことから金融知識や社会保障についての執筆・取材依頼が多い。 他にも恋愛、結婚、育児、旅行など執筆ジャンルは多岐にわたる。
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