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【良縁祈願】新年だから“縁切り”について考えてみる【恋愛成就】(1) 

なかなか良い出会いに恵まれない、とか。自分だけ取り残されている気がする、という人はもしかしたら、良縁を祈願したり、恋愛成就のお願いをするよりも、まず古い悪縁を断ち切らなければいけないかもしれません。

未だに元彼から連絡が来るとか。元彼の連絡先を電話帳から消せないでいる。また、なかなか忘れられなくて今もたまに恋しくなる。元彼に似た人を探してしまう。などなど。

しっかり縁を切っておかないと、次の新しい出会いはやってこないかもしれない!ということで、今回から7回に渡って、「縁切り」について考えてみましょう。

【1、縁切りっておまじないなの?】

よく「縁切り」と聞くと、「そんなの風水とかそういうやつでしょ?」とか「子供じみたおまじないの類でしょ?」というイメージかもしれませんが、実際のところ、どうなのでしょうか。

縁切り神社、というのも存在するくらいですから、神頼みの領域なのかもしれませんが、私がいろいろ調べて考えてみた感じでは、“本人の意識”に問題があるのでは?というところに行き着きました。

〇“思い込み”こそ悪縁の正体

たとえば、ここにお気に入りの靴があります。デザインも好きだし、履き心地も最高。ところが、あるとき道で汚いものを踏んでしまいました。幸い、洗剤で洗ってきれいにはなりましたが、「汚いものを踏んだ靴」というイメージがついてしまい、履けなくなってしまいました。

こういうことは、日常の中に割とあると思います。洗剤で洗ったとしても、イメージまではきれいに流すことはできません。では、靴は嫌なイメージごと捨てることができますが、自分の体はどうでしょう。

自分の体、心、過去は、捨てることができないものです。「そんなこと忘れなよ!」と言われたって、簡単にはできないのです。

悪縁を切る、ということは、これらのこびりついてしまった悪いイメージ=“思い込み”を捨てること。または、それらを悪いイメージから良いイメージに変換することなのではないでしょうか。

〇感謝すれば断ち切れる?

嫌いな人と手を繋いでしまったから、私の右手は呪われている!と思い込めば、その人の右手は“呪われた手”となるかもしれません。私たちは、知らないあいだにそういう思い込みに囚われていることがあります。

「昔付き合った男が結婚してくれなかったから私は今も独身だ!」と思っている場合、それを“不幸”と思うか否かは本人次第ですが、考え方を変えれば、実はすごく“幸福”かもしれません。

過去を塗り替えることはできませんが、「あんなことがあったお陰で、今こうして幸せに生きていられるんだなあ」と思うことによって、呪いが感謝に変わることがあります。

縁切りは、必ずしも神社やスポットに出向いて行うものではありません。また、お願いしたから神様が切ってくれる、というものでもありません。やはり、自分の気持ちの中にある、不要な縁を切っていく作業が、無意味な呪いで身動きの取れなくなった自分を解放する手段なんだと思います。

(つづく)

この記事を書いた人
福永知世
1983年青森市生まれ、宮城学院女子大卒。福永緑丸名義で共著『怪談実話コンテスト傑作選 痕跡』(メディアファク トリーMF文庫)がある。http://milkgraph.web.fc2.com/
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