「大人の発達障害」聞いたことはあるけど、まさか自分は関係ない。そう思っていませんか?前回までは、大まかな「発達障害について」のお話をご紹介しました。
今回は、「発達障害と周囲の理解」についてお話したいと思います。自分が、もしくは、自分以外の人が発達障害だった場合の、周囲の人の理解。これは、必要不可欠のものです。
1、発達障害の人と周囲の理解
発達障害の人が、何もかも無能で、人の手を借りないと生きていけない存在…なのでしょうか。そんなことはありません。
前回もお話したように、発達障害の人は、世の中にたくさんある、いわゆる一般的なルール(職場内のルールや、空気を読むということなど)が、肌に合わないだけで、自分にピッタリのルールさえ身につければ活躍できます。
一番否定すべきは、発達障害や発達障害の疑いがある人を差別したり、「何もできない人」「やる気のない人」と決めつけてしまうことです。
とても成績優秀な野球選手を、突然サッカー場に連れてきて、試合に出場させ「どうしてお前は1点も決められないのか!役立たず!」と叱責するくらい、的外れなことです。
よく「発達障害は、障害ではなく個性だ」という言葉を耳にしますが、発達障害を批難することは、単に個性の批判となり、自分の理解が及ばない幼稚さの露見でしかありません。
発達障害の人が、人より苦手分野が多いということを、サポートしたり、手助けするよりも、まずは周囲の人が「苦手なこともあっていいし、不得意分野もあって当然だよね」と理解することが先なのではないかと思います。
完璧な人間などいない。だからこそ、発達障害の有無に関係なく、「できないこと、不得意なこと、苦手なことに対する寛容な姿勢」が求められるのではないでしょうか。
2、周囲に発達障害の人がいたら?
もしかしたら、ご家族や職場に発達障害の人、もしくは疑いのある人がいるかもしれません。症状も様々なので、疑いがあるからと言って決め付けることもできませんが、対応の仕方は考慮すべきでしょう。
まず、すべてを理解してあげることはできません。また、対応の仕方もこれと言って決められたものはなく、本人も理解していない場合がほとんどでしょう。
診断を受けていたとしても、本人が自分の扱い方を模索していることだってあります。周囲の人ができるのは、それらを見守ることです。
発達障害だからと言って、ここまで大人になり、生活してきたスキルがあるのですから、日常生活はほぼ問題なく過ごせると思います。
ただ、壁にぶつかるときがあり、それをひとりで解決するには時間がかかったり、ひとりでは乗り越えられない場合もあります。
周囲の人は、それに気がついたら、即座に助けるのではなく、温かく見守り、もし困難であるのなら「手助けできることはないか」と本人に質問してみるといいでしょう。
誰でも得意不得意はあります。発達障害の有無は、あまり大きな意味はありません。相手が誰であっても、見守って声をかけて手助けする、という当たり前の優しさが、誰にでもあっていいのではないかと思います。
(4)へつづく。