前回まで、男が異性として見てくれない理由についてご紹介してきました。男性は、外見や表面上の情報で“女性らしい”と判断していて、ゆえに外見や表面上に女らしさを感じられない女性が、いくら本当は女らしかったとしても、見向きもしない。
それだけに、明るく朗らかで、みんなに献身的に尽くす女性であっても「異性として見れない」とお断りされる例が多く、逆にチャラチャラして、いかにもぶりっ子みたいな女はよくモテるのです。
では、「異性として見られない女性」が、「異性として見られる女性」に変身するためには、どのような点に気をつければいいのでしょうか。
1、自覚
最初に気をつけてもらいたいのは、自覚です。自覚は行動に出ます。人に献身的な人、周囲の和を重んじる人は、自己評価が低い傾向があります。
「私がやってあげてんだからありがたく思いなさいよ!」とは思っておらず、「私なんて」とか「私でよければ」と考えます。
この自己犠牲は、時と場合によっては人の役に立ち、感謝もされますが、見返りのない善意だけで、人は生きていけません。
仕事で賃金を得ず、無償のボランティアばかりしていては、餓死してしまうのと同じです。やりすぎは自分を苦しめます。
そこで、「自分が自分の人生の主役だ」と思うことができなければ、どんどん自分の評価を下げていくことになります。劣っていないのに、劣っているという錯覚に陥ってしまうのです。
「私は女性だ」「私は主役だ」と、ふとしたときに意識するだけで、服の選び方も行動も変わってきます。見返りを求めるのではなく、正当な報酬が得られて然るべき、と考えましょう。
それはお金や物質的なことではなく、精神的なものです。感謝の言葉や、評価されることは、正当な報酬に値します。無視されたり、無下にされることに慣れてしまってはいけません。
また、この自覚を保つために、お気に入りの服を着る、自分で自分がかわいいと思えるように着飾る、好きなことをして輝くなどの、外側からのフォローも大事です。
2、評価されない場所へは行かない
また、どうしても世の中には、「その場での立ち位置」だったり「その場で与えられたキャラクターを演じることの強要」があったりします。
たとえば、「A中学校ではいじめられたけれど、B中学校ではいじめられない」というのは、学校の質云々よりも、その人がその場で与えられた立場に起因することが大きいのです。
集団の中には、必ず「汚れ役」を作り出すシステムが働きます。「あいつは雑に扱ってもいい」というような役割を与えられてしまった場合、その集団の中で頑張って立場を改善しようとしても難しいのです。
そのため、そのような立場を与えられた集団からは、距離を置くことが穏便かつ早急な対応と言えます。
「この集団は、私を女として見てくれない」とか、「この男性は私のことを男性のように扱う」と思った場合、一生懸命弁解して女性の印象に変えようとするのではなく、その人、その集団から離れるという決断をするのがお互いのためと言えます。
評価をしてくれない場所は存在します。その世界が全てなのではなく、ほかの場所では正当な評価を受けることができます。
(4)へつづく。