何かと騒がれ、耳にする機会が増えた“モラハラ”。そんなモラハラの被害にあわないために、気をつけておくべきことはなんでしょうか。
今回は最終回ということで、「ヒントその7・我慢しない」についてご紹介したいと思います。
1、いつのまにか得意になってしまった「我慢すること」
私たちは、昔から「我慢する」ということを教えられてきました。我慢すれば褒められましたし、我慢することがいいことだと教えられてきました。
確かに、そのときどきで、我慢しなければいけない場面はたくさんありますし、大人になれば我慢の連続だったりします。
しかし、この世には「我慢していいこと」と「我慢してはいけないこと」があります。「お前はバカだ」と言われても、「はい、そうです」と言って我慢することが、正しいことであっていいはずがありません。
嫌なことをされても我慢し続け、人権を傷つけられても無視されても我慢し続けていては、なんのための我慢でしょうか。誰のための我慢でしょうか。
我慢することに慣れてしまった人は、もっと“自分にとっての利益”を考えましょう。どんな場面でも、モラハラを受ける、ということに対して、怒りを感じ、反論することは正当な反応です。
この「モラハラを受けたら怒っていい・反論していい・逃げてもいい」ということを、何よりも先に実行できるようになっておくこと。これが、自分を守る手段となります。
2、相手が嫌がることをするのは愛ではない
よく、モラハラ被害者の女性が「それでも、夫は私がいないと生きていけない」とか「あれは愛情の裏返しで」と言いますが、残念ながら、それは愛情ではありません。
相手が嫌がることをするのは、もう愛ではなく、執着です。執着は人を幸せにしません。また、夫は妻がいないと生きていけないということはなく、いなくなったらなったで生きていくものです。
本当に愛しているのなら、相手の幸せを願います。モラハラでつなぎ止めておこうとする、ということは、もはや愛がなくなった状態と言っても過言ではありません。
もしくは、相手に対する愛情よりも、自己愛(自分に対する愛情)が勝ってしまった、という証拠でもあります。自分を守るために、誰かを傷つけているのです。
愛してくれない相手に、愛情を注ぎ続ける必要はありません。ここもまた、自分の利益を考えて行動しましょう。これは自分のためだけでなく、相手のためでもあります。
3、自分を大切にする
私自身もモラハラの被害者でした。私の場合、両親からで、同年代の女性芸能人がテレビに出ていると「ほら、ああいう子は魅力があるからきれいなんだ。お前はどうだ、魅力がないんだよ」と言われたり。
「もっと女性らしい格好をしたらどうなの?ほかのみんなは、すごくかわいくしてるのに」と言われ、スカートをはくと「どうしてそんなに似合わないの?」と馬鹿にされ、笑われました。
でも当時私は、「そうか私の魅力がないからダメなんだ」と妙に納得していました。自分なんか馬鹿にされて当然の存在なんだ、と思っていましたし、今もその癖が抜け切れていません。
モラハラとは、目には見えませんが、人の心に入って内側から破壊していく恐ろしい精神的な暴力行為です。
「それくらいのこと我慢しよう」と甘く見ていると、後々、後遺症に悩まされ、そのときは平気でも、精神を病んでしまう原因となる可能性があります。
“自分を大切にする”…これはとても簡単なようで難しいテーマです。何かあるたび、節目節目で「自分は自分を大切にできているか?」と問いかけて、モラハラ被害にあわない自分を作っていきましょう。