前回のニート28歳、Mさんの話で、「期待をかけすぎた結果、ひきこもりになってしまった」というのが一因、なのですが、ほかにも、“過干渉と期待”は密接に関係しています。
期待をかける、ということは「親が子供をコントロールしようとしている」と言い換えることができます。優秀なだけに、幼い頃は親の期待に応えてきたMさん。
“親の言葉はすべてだ”と信じ込んでいたがゆえに起きた悲劇、と言えます。しかし、親は神様でもなければ仏様でもありません。
1、親が間違いを認めること
昔言われていたのが「親は威厳があるから、子供になめられてはいけない」ということ。確かに、手本となるべき人が間違っていては、誰も従いません。
ただ、そこにはからくりがあって、子供は黙って従っているように見せておいて、そこから「ああ、大人も失敗するんだな」ということを学んでいました。
なぜこれが成立したかと言えば、子供がたくさんいたからです。横のつながりがあって、共通認識があったので、子供は孤立しなかった、ということです。
しかし現代はどうでしょうか。狭い密室の中で、膝を突き合わせて生活している中で、親が威圧的に発した言葉が、子供を支配してしまう、というのは安易に想像できます。
「親も人間です」これは、「親だって人間だから間違っていいじゃないか!」という言い訳に使う言葉ではありません。
「親だって人間なんだから、子供に対してそんなに偉そうにしてんじゃないよ」ということです。
間違ったら「ごめんね」、自信がない姿を見せる、嫌だけど我慢する姿を見せる、頑張っている姿を見せる、親だ大人だと偉ぶらない。
子供が「なんだ、親だって人間じゃないか」と思う姿を率先して見せていくことが、「親も人間です」ということです。
2、口で言うより態度で示す
親が代わりにやってあげる、というのは良い場合もありますが、子供を子供として育てることに繋がる可能性があります。
たとえば、「朝ちゃんと時間になったら起きなさい」と親は口酸っぱく言うでしょう。なんなら、子供が自分で起きるより先に親が起こしに行くかもしれません。
それ自体が悪いことではありませんが、時に口で言うより態度で示したほうが本人のためになる場合があります。
親が朝起こさない。すると、遅刻したくない子供は自ら率先して起きるようになります。大人になったら、どうしてもやらなければならないことです。
いつか子供は巣立ちます。ということは巣立った後のことを考えてサポートしなければいけません。洗濯の仕方や料理を教えるのも、自立後の本人のためです。
かわいいからなんでもやってあげたい。子供のうちは甘えさせたい。それはご家庭によって様々ですし、いつまで子供扱いするのかも様々です。
ただ、「いつか自立する」と考えたとき、自分の力で生きていける人間になるようにすることが「育てる」という仕事なのではないか、と私は思います。
(4)へつづく。