知人の娘、Mさんは、今年で28歳。ひきこもりのニートです。中学時代から不登校になり、それ以来、社会との関わりをほぼ絶っています。
原因は様々考えられますが、Mさんは昔、とても優秀な子供でした。親が期待して育てた、というのが一因のようです。
精神的な疾患、ということで通院していますが、すでに年齢的なことも考えると、今から社会に出ることは難しい、と仰っていました。
子育てが難しい、と言われる要因は、この「間違うと人一人の人生を棒に振る可能性がある」ということです。
1、過干渉が人をダメにする
よく「過干渉がよくない」と耳にしますが、子育てで手をかけることと、過干渉は何が違うのかわからない場合が多いと思います。手をかけすぎても良くない、かけ無さ過ぎても放置になる。
過干渉とは、植物における「水や肥料のやりすぎ」です。サボテンなんかを、よく枯らせてしまう人がいますが、そもそもサボテンはあまり水が必要ありません。
この「適度に放置し、かと言って忘れているわけではない」という距離感が、適度な親子の距離なのかもしれません。
2、手を出さない・見ているだけ
実際、子育てをしていて、親のできることは限られているなあ、と実感します。まさか幼稚園や保育園での生活の様子を四六時中観察していられるわけではありません。
おむつ替えをするのは親の仕事ですが、「排泄する」という仕事をするのは本人しかできません。
排泄そのものを手伝うことはできず、できるのは見守ってあげることだけです。そういう場面が多いため、子育てに手応えを感じることができない親も多いようです。
しかし、子育てに手応えを求めてはいけません。子供が何かコンクールで賞を受賞すると、まるで親が自分の手柄のように自慢することがあります。
頑張ったのは本人で、育てた親が何か偉いのではありません。そこを勘違いしている人も多く見られます。
「うちの子供、すごいでしょ!どうぞ褒めてやってくださいよ!」という親御さんには共感できますが、「私の育て方がいいからこの子は賞を取れたんです!」という親御さんには、共感できません。
子育てで手応えを感じようとするのは、そもそも目的がすり替わっています。子育ては、子供が自分の力で育つのを手助けしてやることです。親が頑張って子供を押し上げることではありません。
(3)へつづく。