第一回では「リスク回避」の視点から、第二回では「草食化した男性」の視点から、女性の出会いがない、ということについて考えてみました。
今回は、「生活水準」の視点から、女性の出会いについて考えてみたいと思います。
私は現在30代なのですが、私が幼い頃、ちょっと貧乏な家庭の子、みたいな人が結構いました。親の都合でお金を工面できない子供はそう珍しくなかったと思います。
地域によっても違うとは思いますが、「親戚の子の服のお下がり」やら、「穴があいた服は直して着る」みたいなのも、結構当たり前でした。
しかし、今はどうでしょう。ちょっとでも古めかしい服を着ていると指を指される。服が破れていれば虐待を疑われる。なんでも新品か、新品同様でなければ“恥ずかしい”という風潮があります。
それだけ、平均的な生活水準が上がり、「みすぼらしい格好をすることへの恥」という認識が高まっているようにも思えます。
1、生活水準が上がると結婚できなくなる人も増える
婚活している女性が気になるのは、相手の男性の年収です。低いよりは高い方がいいですし。できれば自分よりはるかに稼いでいて欲しい。
さらに、安定していることは必須条件で、今後も昇給の見込みがあればなおいいです。誰だって、「今よりいい生活をしたい」と思います。
わざわざ、貧乏な男性と結婚して、今より苦しい生活を選ぶ人は、あまりいないでしょう。しかも、貧乏なだけならいいのですが、貧乏であることで周囲の人から浮いてしまう、バッシングを受けるとなると、社会的に辛い立場に追い込まれます。
「貧乏でもいいじゃない」とか、「お金がなくても子育てはできるよ」という風潮がない、ということが女性の男性に求める条件のハードルを上げています。
物質的には恵まれている現代ですが、たとえば明日はツナ缶1個と白米しかない状態で、それでも死なないで生活はできますが、そんな生活をしていることが“恥ずかしいこと”である以上、貧乏生活は“社会が許してくれない”のです。
2、羨ましいんじゃない!
上記のことを踏まえると、どこか現在は「憧れの上流階級の豊かな暮らしが、いつかしたい」という憧れよりも、むしろ「貧乏生活から逃げる」というスタイルの人が多いように思います。
いくら平均的な給与で生活していても、実際の生活がどうというよりも“お金ない人、みたいに思われたくない”という理由で、人から見える部分にお金をかける人もいます。
そのような“人からどう見られるか”を気にしている状態では、個人の感覚である「好き・恋する」という主体的な動きは二の次になってしまい、「人から見られても変に思われない相手探し」をすることになるのではないでしょうか。
ここで「自分がどうしたいか」とか「どんな男性のことを好きなのか」みたいな“自分自身”を無視し、対外的な条件で相手探しをすると、やはりどうしても良い条件の男性はすでに売れている、という事態になります。
この状態で、ポン!と独身男性の集団の中に入っても、たくさん男性と出会って会話しているにも関わらず「出会いがない」と判断してしまうことになるのではないでしょうか。
第二回←→第四回へ続く。