第一回で「長女とそれ以外の人の違い」、第二回で「長女が不器用になった原因」、第三回では「長女は奴隷化されている」についてお話しました。
今回は、「長女がほしいもの」についてお話したいと思います。私の周りの第一子長女たちは、みんなとても遠慮深いです。
たとえば、もらう理由のわからないお金は受け取りません。お小遣いとして「千円あげるよ」なんて言われても、「私何もしてません!困ります!」って感じです。
一方、私の末の妹などは、「千円あげるよ」と差し出されれば、理由も聞かずに「ラッキー!」などと言って貰っていくでしょう。
では長女は何が欲しいのか。その“長女がほしいもの”と恋愛・結婚は深く結びついているように思います。
1、愛があれば何もいらない
第一子長女が不器用で、恋愛・結婚ができないことと同じように、悪い男にひっかかる第一子長女も多いのです。
これは「愛があれば、ほかに何もいらない」などと考えているからです。わがままが言えない長女は「愛もお金もほしい」とは言えないのです。
すると、お金もいらない上に身の回りの世話までしてくれる女に寄ってくる男は、見せかけの愛をちらつかせて様々なものを搾取することも簡単です。
このように、悪い男に騙されて「男なんかうんざり」と言っている長女も大変多いです。
恋愛も結婚も、残念ながら「愛だけ」では何も成り立ちません。与えることだけに集中してしまう長女が、最終的に“損をする構図”は、もう始まる前から出来上がっています。
2、長女がほしいものを得て満足する
長女が表面上ほしがるのは、“親”(またはそれに代わるもの)という存在からの賞賛です。「よくできたね」「頼りにしてるよ」などという言葉だけをエネルギーにして生きていきます。
しかし、人間はそんな都合よくできていません。一時的に「満たされたような感覚」を覚えることができますが、本当にほしいのはそれではないのです。
長女が真実に欲しているのは、「親を独占すること、注目を浴び賞賛を得ること」ではありません。「子供時代に戻って、無償の愛情をたっぷり注がれること」です。
つまり、タイムマシーンがない現代では不可能なことですし、もしかしたら一生、ぽっかり空いたままの穴を胸に抱いて生きていくしかありません。
そのため、愛情をたっぷり注がれて育った長女は幸せな結婚をし(もしくは満たされた生活をする)、そうでなかった長女は空虚感を埋めようと、あらゆる人のために自己犠牲としてその身を差し出す人生が待っています。
ただ、これが一概に「不幸である」とも言い切れないのです。
(5)へつづく。