前回「長女とそれ以外の人の違い」についてお話しましたが、この「女性として生まれた」ことと、さらに「第一子で生まれたこと」という環境によって、その人に及ぼす影響はどのようなものなのでしょうか。
なぜ第一子の長女は不器用なのか。また、そうさせる原因は環境のどこにあるのか。今回は、「長女が不器用になった原因」について考えてみましょう。
1、長女が不器用なわけ
長女の呪縛について、仕事の上でも苦労する、という記事(http://dot.asahi.com/aera/2015081000022.html)もよく目にします。実際、私自身も第一子の長女ですが、生きづらさを感じます。
長女は何も、手先が不器用だとか、空気が読めない、ということではありません。むしろ、「器用すぎて考えすぎる」ことが不器用と捉えられています。
たとえば、集団で芋煮会をする季節になれば、各々が好きなように楽しむと思います。長女は、そのような“自由な場所”であっても、自分の立ち位置を気にするかもしれません。
「誰かが困っていないか周囲を観察する」とか、「次は何を手伝おうか考えている」など、ほかの人が楽しく笑っている間も、“芋煮会をスムーズに進行し、何事もなく無事終わらせる”ことを考えます。
これは不器用な人にはできないことです。自分のことはさておいて、他人のことまで考える、なんてことは(しかも自分になんの得もない)、自己犠牲以外のなんでもありません。
2、自分のことより他人のこと
すべての人が、とは言いませんが、第一子長女は自分のことよりも他人のことが気になります。なぜなら、そうするように育てられたからです。
「弟や妹の面倒をみる」というのは、とても高度な仕事ですし、「親の手伝いを率先してする」というのも献身的な優しさがなければできません。
また、「自分の欲求を我慢する」ということや、「兄弟の見本となるために自分を律する」というのも、大変な精神的負担です。
このような、常に他人の視線や周囲の状況を確認しながら行動することを強いられて育った人は、大人になってもその癖が抜けることはありません。
ただ、もし世の中が“第一子長女しかいない世界”であったのなら、きっとなんの問題も起こりません。問題なのは、長女以外の人と一緒に生活しなければいけないことです。
弟・妹は要領がいい、と言われています。それもそのはず、長女・長男の行動を見て学び、自分への影響を計算し、“間違いのない道”を選べるからです。
それがいいことかどうかは置いておいて、もし自分だけ得をしたいと考えたときに、献身的な長男・長女に負を背負わせ、自分だけ上り詰める、などという所業は簡単なことです。
これは犯罪ではありませんし、「早い者勝ち・競争社会」と言われる現代においては、なくてはならない能力のひとつです。
第一子長女が「他人の利益」を考えているとき、弟や妹は「自分の利益」を考えることができる。個人主義が勝る現代においては、“他人に献身的であればあるほど損をする”という構図が浮かんできます。
(3)へつづく。