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私も…もしかして?大人の発達障害と女性の生き方(7)最終回

発達障害を抱えて生きる。これは、今後の社会において大きなテーマとなるでしょう。誰しもが完璧でない中で、得意分野を活かし、不得意を避けて生きていく。

適材適所で生きていくためには、まず自分自身を知らなければなりません。今回は最終回ということで、発達障害の苦しみと希望、についてお話したいと思います。

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1、狭く深く

どうしてみんなのように器用にできないのだろう。初めてあった人と和やかに会話できない。普通の世間話ができない。相手の話を理解できない(意味はわかるけど、肯定できない)。

人は普通に生きているだけでも、かなり高度な仕事をやってのけます。簡単そうに見えて、実はすごいことを連続で行っているのです。これは、どんな人であってもです。

通常、一般の人は一見なんでもそつなくこなすように見えます。本人もあまり意識せずに行っているかもしれません。

しかし、発達障害の人は、そんな「広く・浅く・なんでも・オールマイティに」ということが、すごく難しく感じます。

でも、発達障害である、とわかったことは不幸の始まりではありません。発達障害である、または発達障害かもしれない。そう気が付けたことは、希望です。

不得意なことを自覚することによって、得意なことが見えてきます。今度は、その得意なことに「狭く・深く・もっと専門的に」関わっていくことが、これからの道かもしれません。

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2、できないことを責めないで

ほかの人と同じようにできないことは不幸でしょうか。たくさんいる人と同じ行動ができなければ、ダメな人間でしょうか。朱に交わっても朱になれない白は悪でしょうか。

そうではなく、世の中にはもっとグレーゾーンがたくさんあることに気づくべきでしょう。見渡してみると、発達障害と疑わしいまま、診断を受けていない人はたくさんいます。

男か女かはっきりしなければいけないわけでもなく、子供か大人かはっきりしなければいけないわけでもありません。その中間のグレーゾーンで、何にも所属しないまま生きている人がいてもいいはずです。

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料理や掃除が下手な女性がいてもいいですし、人見知りして知らない人とうまく会話できない人がいてもいいでしょう。職場の人間関係でうまく行かず、ひとり浮いていても仕事ができればそれでいいのです。

できないことは辛いです。人から批難されるかもしれません。けれど、まずは自分から「いろんな人がいてもいいんだ」と解放することで、他人を許し、自分を許しましょう。

「普通に生きる」ということの定義は存在しませんが、今もし、なんとか生きていけているのなら、きっとそれが正解です。

この記事を書いた人
福永知世
1983年青森市生まれ、宮城学院女子大卒。福永緑丸名義で共著『怪談実話コンテスト傑作選 痕跡』(メディアファク トリーMF文庫)がある。http://milkgraph.web.fc2.com/
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