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不名誉なレッテル『仙台はブスばかり』はどこからきたのか!?

住みやすい、街並みがキレイ、ご飯が美味しい、起業しやすい、などなど、軒並み好意的なイメージが集まる仙台市。住民として、とても光栄なことだと思います。

が。

「日本三大ブス産地」に仙台が入っているとはどういうこった、コラ(他の二都市については敢えて明言を避ける)。しかも、一部ではその三大中でもセンター=トップの地位に君臨しているとか。まぁ、美醜って個々の好みに委ねられるモノだしね。全く気にはならないんですけどね。みんな、やたら「三大ナントカ」が好きだなぁ、くらいにしか。

街を歩けば、根も葉もない通説であることが理解できます。みなさんシャレオツでKawaiiと思います。
しかし、火のない所に煙は立たず。この不名誉なレッテルがどこから生まれて広まったのか、などの諸説には大変興味深く感じたため、今回はそれをまとめておきたいと思います。

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その1・「愛姫(陽徳院)の呪い」説

megohime愛姫(めごひめ・出家後、陽徳院に)といえば、仙台藩初代藩主・伊達政宗公の正室。数え年12歳で現在の福島県田村郡から輿入れし、「家庭をよく治め、慈愛深く聡明な女性だった」と、その人柄について語る記録も残っています。
夫婦仲も円満で、政宗との間に子は4人。あれ? 「呪い」という、禍々しい言葉が全くもって似合わないぞ。

ただ、愛姫が第一子をもうけたのは、輿入れから15年後。この間政宗が、他の側室たちとバンバン子作りしていたにもかかわらず。

実は、結婚してから10年ほど、二人の夫婦仲は険悪の極みだったんですね。
というのも、当時、伊達家では政宗の毒殺未遂事件がありました。その背景に愛姫の実家である田村家からの内通者が関与していると考えた政宗は、愛姫の乳母を斬り、他の愛姫の侍女たちも次々死刑に。

右も左もわからない異郷で、母代わりである乳母や支えてくれた侍女たちが、あらぬ罪で殺されてしまったのでは、そりゃあ愛姫だって怒るよね。しかも10代、思春期真っ盛り。殿ばかりか国全てを呪ったとしても不思議ではありません。

長年の確執を経て仲直りしたのは上記の通りなのですが、若さゆえの強烈な呪詛の念はそのまま解けずにいたのかもしれません。
だとしても、その頃の政宗、まだ仙台に居ないから。米沢(山形県)にいたから。というわけで、この説は事実無根、信憑性ゼロのネタ話確定。

(画像出典:仙台市博物館)

その2・「高尾の呪い」説

tsunamune時は進んで三代藩主・綱宗の頃。

この殿様がもぅバカ殿モーター内蔵というか、とにかくアレなお人柄だったようです。内政そっちのけで吉原の廓通い。

仙台⇔東京間って今でこそ新幹線で2時間で行けるけどね、この頃船だからね。

1往復に何日かかるのかわかりませんが、とにかくほとんど仕事せずに遊女の尻を追っかけていたワケです。

(画像出典:ウィキペディア)

 

oiran中でもご執心だったのが三浦屋という置屋の花魁・2代目高尾太夫

(画像出典:ウィキペディア) ※ちなみに高尾太夫本人ではありません、イメージです

花魁というのは当時、遊女たちの最高位であり、容姿はもちろん教養を備え、あらゆる手習いを叩き込まれたスーパーエリート。

この女性をどうしても手に入れたかった綱宗は、通いに通い、口説きに口説き、それでもなびかないとなると三浦屋に大金を積み、身請けという名の誘拐を決行したのです。こっちもバカのスーパーエリートですね。

当然、高尾は拒絶するわけです。国へ帰る船の上で、「他に好きな男がいるのでお断りします」とピシャリ。

家臣も見ている中、これでは仙台藩62万石の面目丸つぶれ。カッとなった綱宗は刀を抜き、高尾の髪を掴んで上から吊るし斬りにして殺してしまったのでした。

この様子を描いた浮世絵が、仙台市博物館に収蔵されています。それがこちら。一部引用させていただきます。

takao文化10年(1813)3月に江戸中村座で上演された「其面影伊達写絵(そのおもかげだてのうつしえ)」にもとづく役者絵。

いわゆる「伊達騒動(だてそうどう)」を歌舞伎化した「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」の開幕劇「高尾の吊斬り(たかおのつるしぎり)」を描いたものである。

奥州五十四郡の太守足利頼兼(伊達綱宗のこと)は、遊女高尾に惚れ込んで伽羅(きゃら)の下駄をはいて郭に通う。

やがて高尾を身受けした頼兼は、三股川に大船を浮かべるが、自分に逆らう高尾を酒乱のあまり船べりに吊るし斬殺するのである。

(画像出典・解説引用:仙台市博物館)

 

他、様々な乱行がとうとう幕府の知るところとなり、齢わずか2歳の長男・亀千代を藩主に据え、無理矢理隠居されられることとなった綱宗。

有名な「伊達騒動」の始まりとなる事件でした。

これは呪うわ。呪っていいわ。しかし何故恨みの矛先が女なんだ。

現代でも三角関係などではありがちな謎です。どうして女の恨みは女にいくのでしょうか誰か教えて。
ただしこの逸話には不明瞭な件や矛盾が多く、史実ではないと言われています。

ただ、綱宗が吉原通いのバカ殿で、吉原には高尾という花魁がいたという記録は残っており、点と点を繋げてスキャンダルを仕立て上げたのではないでしょうか。

当時のお家騒動なんて、今で言うワイドショーの冠ネタですからね。

こうして歌舞伎や浮世絵、小説の題材となり、平成になってからもラノベ『天外魔境2』でネタにされ(怪樹木の化身高尾が綱宗を一塊の香に変えてしまう)、あげくゲーム化まで。

もう、史実か否かなどは棚に上げて、今でも根強い人気を誇る説です。

その3・「流行作家・坂口安吾がそう言ったから」説

ango坂口安吾は、太宰治や織田作之助と時を同じく活躍した人気作家です。

小説からエッセイ、戯曲まで、残した作品は数多く、また未完に終わった作品も同じくらいあると言われてきた多筆家。「堕落論」や「桜の森の満開の下」などが代表作でしょうか。とにかく、バリバリ書きまくって寄稿しまくって精力的に活動して人気を得ました。

そんな彼が、とある雑誌のエッセイ「美人の消えた街」の中で「仙台には美人がいない。それは高尾の祟りであろう」と書いたワケ。

高尾とは先述の高尾のことで、安吾もこの事件を題材にした文芸術を目にしたのでしょう。ただし、前半の「仙台には美人がいない」は安吾の本音。カリスマ作家のこの一言は重いですよね。今だったらSNSなどで拡散され大炎上しそうな一言。今の時代に生きていなくて命拾いしたな、安吾。

(画像出典:ウィキペディア)

その他・あんな説こんな説詰め合わせ

水質の悪さ

suishitsu仙台を含めた「日本三大ブス産地」の街は全て、太平洋側に面していることから言い伝えられています。

逆に「日本三大美人産地」とされる秋田・京都・博多は日本海側。

この規則性にはちょっと興味をそそられますね。もちろん、今は水質も昔と比べて変化しているだろうし、なんの根拠もないのですが。

 

 

 

 

伊達男の人情と見栄

政宗公は、幼少の頃から天然痘で右目を失い、そのことで実母から疎まれたという逸話があります。そのため、あまり「美しい」とはいえない女性に対して一種の哀れみを寄せ、近隣各国からそういった女性を集めて奉公人に召抱えた、なんて説もあります。

一方、見栄っ張りでもあった政宗公は、南蛮貿易でよりすぐりの美女たちを輸出品にしてしまったため、美人がいなくなってしまったという「風土記」の記述もあったそうです。これは、秀吉による「バテレン追放令」と共に禁じられ、それ以来、仙台美人の流出を防ぐことができたとか。秀吉、グッジョブ!

内向的な土地柄から他所者に排他的だった?

murashakai「排他的な土地柄のため、身近なところで上手くパートナーを見つけることを繰り返してきたために美人が少ない」と言ったのは、県民性研究家の矢野新一氏。

昨年、日テレ系の某バラエティ番組で、仙台ではなく別の都市について言及したものだったようですが、仙台にも共通する点があるという持論をお持ちだったようです。

つまり、中規模の城下町では、他所者を受け入れることをよしとぜず、狭い地域の中で結婚を繰り返すうちに、遺伝子にその因子が刻み込まれたというもの。

近親婚を繰り返すとアレな子供が産まれてくるっていう意味でしょうか。なるほど、わからん!

 

まとめ・根拠に乏しい俗説ばかり。会話のネタにして笑い飛ばすべし

以上、「仙台不美人説」にまつわる様々な伝説をまとめてみました。もちろん「今は昔」のお話。

現代を生きる「仙台美人」の皆さまには、あまりにバカバカしく、信憑性に欠けたものばかりです。もう一度言います、街に出てみれば一目瞭然!(ただ、東北の中心都市のため、生まれも育ちも仙台って女性は案外少ない?)

それでも、いまだ「仙台ってブスの産地ってマジ?」なんて無礼な話題が飛んできた際にカッとなるのではなく、これらの俗説があることを話のネタにし、最後に、「ま、根拠ゼロだし、全く気にしていないけどね」と、サラリとかわしすことをオススメします。

ここまでいろいろな説があると、かえって会話が弾むかもしれませんね。

 

以上、北海道出身の私が無責任に書いてみましたっ! さて、逃げる準備でもしますかの…。

 

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20~30代前半までの“女の花道最盛期”をV系バンドの追っかけと二次元コスプレで盛大に潰し、30代後半から今に至るまではクイズゲームに煮える、女子力マイナスの干物系主婦ニート。好きな言葉は「愛などいらぬ!」
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